なぜ?事務所の中はスズメとヒヨドリの解放区
以下転載
1 事務所に雀が来るようになったのは、2001年からだった。
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1 事務所に雀が来るようになったのは、2001年からだった。
夏も終わりがけのころ、開けていた窓に巣立ったばかりの子雀を連れた母雀が現れた。その母雀はボロボロで、羽は抜け落ちて見るからに病気のようだった。子雀は「母ちゃんお腹がすいたよ!」と激しく鳴いたが母雀は悲しそうに子雀を見るだけで、もう気力が萎えているように見えた。
おやつ用に買ってあった菓子パンを小さくちぎって、窓際に投げてやると、母雀はそれを喰わえて子雀に与えた。それからこちらを向いて何かを訴えるようにジージーと鳴いた。雀のこんな声は初めて聞いた。もちろん、雀の言葉など分かる訳はないのだが、それは「私はもうだめです。どうかこの子をお願いします」と僕の心は聞いた。
母雀は飛び去ったが、子雀は窓から離れなかった。夕方、事務所を閉める時間になっても子雀は動かなかった、泣き疲れて眠ってしまったようだ。事務所は5階で窓を開けっ放しにしておいても泥棒が入ることもないし、このままにして帰った。
翌朝、気になっていつもより早く出勤すると子雀はまだ居た。パンをやるといつまでも食べ続けた。パンだけでは育たないだろうと近くのコンビニで弁当を買ってきて卵焼きやハムやテンプラのころも等を小さくきざんで与えた。小鳥の飼育はセキセイインコやヤマブキボタンインコで充分経験があったので、この子雀を育ててみることにした。
鳥かごに入れずに「ここに居たければ居なさい」と言って餌だけをやった。名前は「ホンペ」と勝手につけた。変な名前だが、最近死なせてしまったヤマブキボタンインコの「ぺッチ」の「ぺ」の字を付けたかったからだ。

僕のあまりの悲しみを見て、ペッちゃんの魂は姿を変え、すずめになって帰ってきたと思いたい。だから「本当はペッちゃんだよね」を略して「ホンペ」という名前にした。そうに違いない、でなければ雀が人間に子供を託していくなんてあり得ない話だ。でも冷静に考えてみれば、種類も雌雄も違う。矛盾だらけだが、魂というものがあるとすれば、そんなものは超越しているかも知れない。
子雀のホンぺは事務所の中で気ままに飛び回って遊んだり外へ出て行ったりしていたが、暫くすると姿を消した。寂しいが野生の世界に戻って行ったのだろうと諦めた。
「去る者は日々にうとし」とは言うものの街で雀を見かけるとつい「ホンぺ」と呼び掛けてしまう日が続いた…。
秋になり雀は冬越しのために十数羽の集団を作り群れて飛んでいた。ある日事務所の向い側のビルの屋上にずらりと並んで止まった雀の中の1羽が飛び込んできていつもの窓際の場所にとまった。ホンぺだった。たった1羽の雀のことで、涙で眼が潤んでしまった。挨拶をしに来たその後、姿を見せなくなってしまった。
翌年の春2羽の雀が飛び込んで来た「僕、彼女ができたよ」はしゃぐのはホンぺだった。これはミニ版「野生のエルザ」だ。野生のエルザのライオンほどではないけれど、たかが雀だって感動モノでした。
さらにこの小さな物語は続く。ホンぺ夫婦は子供を次々と連れて来た。最初に4羽、次に2羽、さらに1羽と合計7羽も子供を連れて来た。中でも最初の4羽の中の4番目はとても人なつこい性格のようで、よくなついた。ホンぺにそっくりなので「ミニぺ」と勝手に名付けた。これだけの親雀+「セブンベイブス」が事務所の中を飛び回るので糞公害になってしまった。そこで窓際に新聞紙をしき、ここから出るなと厳しく言ってあるのだが…。
…と言うのがブログを始めたころのお話…数々の疑問の対するお答え。
…と言うのがブログを始めたころのお話…数々の疑問の対するお答え。
ヒヨドリも初代のピーさん8年、その子供のコピー君6年と続きました。現在は多分コピー君の孫かひ孫だと思います。2020年はピーターと弟のニバンの子供ニコとフーちゃん…。
コメント
コメント一覧 (8)
suzumehiyo19
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これからも訪問したいと思います
よろしくおねがいします
suzumehiyo19
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これからも、すずめさんたちをよろしくお願いします!
suzumehiyo19
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津軽弘前は雪が降って寒いですよ〰🐤
雀も福良雀になって寒そうだよ〰🐤
以下はあめふりの替え歌だよ〰🐤
つぼみ~ さけさけ ヒヨちゃんが
サクラで おむかい うれしいな
チュンチュン プッチプッチ
ランランラン
suzumehiyo19
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雛ちゃんの顔が「開店はまだ?」と表れていますね〰🐤
やっぱり解放区は保育所であり、雛ちゃんの楽しみな場所何ですね〰🐤
ところでCAPさんは解放区にファットボールを用意されたことはありますか?〰🐤
私のレストランに用意するか、検討中ですよ~🐥
suzumehiyo19
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